朗読講師Episode1

いつも「海のまち朗読館」のブログを読んでいただき、
ありがとうございます。

今日から、
わたくし海野尾順子の自己紹介、
私が朗読講師になるまでのストーリーを
5回にわたってお話ししようと思います。

これを思い立ったきっかけは、
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、
非常事態宣言が出され、
社会の様子が一変したことにあります。

不要不急の外出をしなくなり、
お食事会や飲み会などがなくなり、
日用品など、いつでもどこでも
どんなものでも不自由なく買えるほど
お店の棚にあふれているわけではなくなりました。

そのことが、今初めての体験ではなくて、
昔からのなじみのある暮らしのような、
どちらかというと自然なことのような、
歩きながら街の様子を見て、
デジャヴのような感覚になることが不思議に思えたんです。

これは一体どういうことなのかしら?

昔のアルバムがふいに記憶によみがえりました。

父と母、弟、近所の人たち、
幼稚園の先生、
小学校の先生、
友だち、
友だちのご両親、
親戚の人たち、
近所のお店の人たち・・。

確か、周りの人たちは、
みんないつも同じようなものを着て、
毎日の食事も同じようなもので、
お店の商品もそんなに種類が豊富というわけではなかった・・。

日曜日はどのお店も閉まっていて何も買えなかった。
子どもが外食できるようなところは、
デパートの食堂くらいしかなかった。
お母さん同士でランチをするようなお店もなかった。

飲食店はほとんど男性のためのもので、
女性や子供だけで入れるようなところはなかったです。

楽しみのために出かけるのは、
年に数回で、
ほとんど家にいました。

お父さんが帰ってくると、
オーバーコートは玄関の外で脱いで、
ブラシをかけてほこりを落としてから、
家の中に入り、
玄関の洋服掛けにかけていました。
部屋の中に上着を入れることはなかったです。

靴下で部屋に入ることもなく、
玄関で脱いでいました。

今、近所に用事があって出かけるだけで、
電車や車に乗る機会も無くなりましたが、
それも、私の年代以上の人にとっては、
案外普通のことのように思われるのかもしれません。

そんなことで、子ども時代のことを
あらためて思い出し、
皆様にも知っていただきたくなりました。

よろしかったら少しの間、お付き合いくださいませ(^◇^)。

それでは、はじまりはじまり~

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Episode 1

私が生まれたのは、昭和のちょうど真ん中くらい。

食品メーカーに勤めている父の赴任地だった甲府で、長女として誕生しました。

母のお腹にいた頃に、伊勢湾台風が猛威をふるい、甲府も大きな被害を受けました。

2階の屋根も窓も飛んで、水浸しの部屋を長靴を履いて片づけている母の写真には驚きます。

母はこの経験から、

「夜寝る前はやかんに水を入れておく」

「お風呂の水は常にはっておく」

「常時お湯を沸かして魔法瓶(懐かしいですね~)に入れておく」

「台風の予報があるときは先にご飯を炊いておく」

その他もろもろ、気を付けて暮らすようになったそうです。

その影響を受けてか、

私も子供のころから防災意識が高く、

「いつ台風や地震が来るかわからない」

と、非常袋を用意したり、

避難経路を考えたりすることが習慣になっています。

最近は大きな被害をもたらす自然災害が多くなっていますから、気が抜けません。

お教室の時はいつも、

「電車の事故や遅延がありませんように。
生徒さんのお稽古の行き帰りが安全でありますように」

と気遣っています。

日常が滞りなく送れる毎日であって初めて、

朗読をする心の余裕が生まれるのですから、

お稽古が無事終わると、本当にほっとして、

平穏な時間が過ぎたことに感謝しています。

さて私が3歳の時に父が大磯に転勤してそこで弟が生まれ、

まもなく私たちは茅ヶ崎に引っ越してきました。

だから私の故郷は茅ヶ崎です。

海岸からすぐの家で、幼稚園も小、中学校も海沿いでしたから、

夏はいつも海辺で遊んでいました。

好奇心でいっぱいの活発な子どもで、

小学校の学芸会では、自分で物語を書いて台本化し、

劇の演出もしたりしていたんですよ。

担任の猪狩先生も応援して下さって、

3年生の時、「なぞなぞ博士の大冒険」というお話を作りました。

物知りの博士がジャングルを冒険し、

動物たちから謎なぞを出され、

ひとつずつクリアして目的地にたどり着くという、ありがちな(笑)ストーリー。

遊び心でいっぱいだった私は、缶で作った竹馬に乗って、

危なげに歩いていくという演出を思いつきます。

主役の博士役にはクラスで一番背の高い男の子を抜擢し、

山高帽を模造紙で作ってかぶせました。

その状態で缶に乗るとものすごく背が高くなるわけです。

なぞなぞを一つ正解するごとに、缶を一つ増やしていくので、

背はどんどん高く、そしてどんどん歩きにくくなって、

よちよちと歩く姿がみんなに大変ウケたものでした。

私は、自分の考えたことでみんなが笑ってくれるのを見て、

心から満足していました!

お芝居は好きだったけれど、

シンデレラ的なお話で女優さんをやってみたいとかは、

なぜか、思ったことがなかったです。

自分が表で目立つことはちょっと恥ずかしい気がしていました。

パフォーマンスもあまり得意ではなかったように思います。

それよりも、

おもしろさとか、笑いとか、

脱力感的な演出を考えるのが好きだったんですね。

上手くできて褒められるよりも、

失敗して笑われる方が嬉しいという、

珍しい女子だったんです(笑)。

そんな私が、

アナウンサーになりたい!

と思った最初のきっかけは、

小学校5年の秋のこと。

父が、

〇〇〇を

プレゼントしてくれたことがきっかけでした。

さて、〇〇〇とは・・・?

続きはまた次回に(^_^)

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