「朗読を学んだ先にある未来」

ここのところのブログで、標準アクセントとか、洗練とか、2級合格、コンテストなどについて書いていましたら、ある方から、こんなメールをいただきました。

その方は、朗読をしたことはなく、聞いたこともないとのことですが、「聞く人に伝わる話し方」に興味があって、「海のまち朗読館」のことを知り、ブログやサイトなどを読んでくださっているそうです。
メールにはこんなことが書いてありました。

****

私は朗読をしようと思ったことはないのですが、「海のまち朗読館」の書かれていることを読んでいるうちに、「朗読を学ばないと損をしているのでは?」と思うようになりました。

これまで私は、「朗読って自己満足のためにするのかな?」なんて思っていたんです。
わざわざ声に出して自分の好きな本を読んで人に聴かせるなんて、私にはできないなって考えていました。

だけど、声に出して読む過程で、物語の時代背景や、登場人物の過去や未来、折りなす人間模様や感情の変化を観察して、その全部を一人で表現するために深く息をして声を出す。
目で読むのとは比べ物にならないくらい、膨大な時間をかけて、物語を理解する、奥深さ。

これは、人生を、もう一度磨く時間なのではないかなんて、思うようになったんです。

毎日の暮らしの中で、人生がぼんやり曇っているように思えるとき、本を開いて声に出すことで、いつでも瞬間をぴかっと光らせることができる。
物語の中の人間関係を一人で全員分声に出すことは、全員の気持ちがわかることにつながりますよね。

自分の生活の人間関係では、いつも「相手の気持ちがわからない」とか、「自分の気持ちを分かってもらえない」ことが問題を引き起こします。

でも、朗読すると、どんなシーンも俯瞰して理解できるんですよね。
黙読では、さっと雰囲気をつかんで先を読んでしまうけれど、朗読は言葉に出す。
自分の声で言葉を発するから、いい加減には通り過ぎることができないわけですよね。

朗読していると、関係性の上での想像力が高まるんだと思うんです。
そうしたら、現実にいる、自分以外の人のことも想像できるようになりますよね。

言葉の奥のコミュニケーションが取れるようになったら、周りの人との関係はきっと、ずっと良くなるんじゃないでしょうか。
「海のまち朗読館」のHPやブログを読んできて、思いました。

滑舌とか、アクセントとか、一つ一つ学ぶことで、声が磨かれ、言葉が磨かれ、想像力が磨かれるんですよね。
声と言葉を磨く「海のまち朗読館」の教室レッスンは、人生をもう一度みがく時間なんだと思います。生き方そのものが変わるような気がします。

私は今は、家族の介護を家でしているので、習い事に出ることができません。
でも、こちらのブログやHPの文章で、上質な時間を味わっているような気持になって、ほっとすることがあります。
見ているだけなので滑舌などは良くなりませんが、時々、誰もいないときにこっそりブログを声に出してみることがあります。
それだけで何かすっきりするのが不思議ですね。
文字と、声と、心は、特別な関係なのでしょうか。
家族が帰ってきたときに、新鮮な気持ちで迎えることができたりして、人間関係も豊かにしてくれるんだなあと思うんです。

いつか、「海のまち朗読館」の朗読教室に通ってみたいです。遠いから無理かな?

***

メールはもう少し続きますが、ここまでご紹介させていただきました。こんな風に書いていただいて、感謝の気持ちでいっぱいです。

朗読を学ぶことが、朗読以上に、人間関係をよくすることになるなら、こんなに素晴らしいことはありません。
私自身はここまで考えたことがなかったので、そういっていただいて、ちょっと照れてしまいますが、これからは、レッスン中もそんな意識で臨んでみたいですね。
そうしたら本当に、朗読が、今の朗読以上のものになるかもしれません。

いかがでしたか、皆様も何か感じることがありましたら、ぜひメールをお送りくださいね。

私たちは、朗読を通して、周りの人とのコミュニケーションをより豊かなものに変えていくことができる。
今日は、そんな意識を与えてくれたメールをご紹介しました。

最新情報をチェックしよう!